「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます。」(Ⅰヨハネ3:18-19)目の前にいる兄弟を愛すること、これがヨハネ教会の掟です。神愛教会も同じです。過去の罪で苦しんでいないで、今、愛し合うことが勧められています。イエス様の十字架の愛をいただいた私たちにはできないことではないのです。2017年の終わりを迎える時、兄弟のために祈ることができるようにしていただき、いつでも神様の前に安心して立てるようにしていただいたことに感謝したいと思います。
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2017年12月24日
| 「偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。」(ヨハネの手紙一2:22) |
イエス様は、ベツレヘムで生まれ、ナザレでお育ちになり、ガリラヤで病をいやし、多くのみ言葉を語られました。エルサレムで十字架につけられた方は、神の御子でありました。ナザレのイエス様がメシアでありましたという信仰を聖霊によっていただきました。私の救いのために、全ての人の救いのために御子が人となられたクリスマスです。神様、ありがとうございます。
2017年12月17日
「わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。」(Ⅰヨハネ2:3)神様の掟は、互いに愛し合いなさいということです。兄弟同士、互いに愛し合うことによって神様が分かります。愛は、他者のために命を捨てることです。どれだけ捨てること、手放すこと、捧げることができるか。クリスマスを迎えるとき、イエス様が私のために命を差し出して下さったことを信じ、イエス様を心にお迎えする時、神様が分かるようにさせていただけるのだと思います。祈り求め、イエス様のお力で心をかえていただきましょう。
2017年12月10日
「罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。」(Ⅰヨハネ1:10)罪とは、自分が神様になることです。自分を中心にして生きようとすることです。自分の考えが正しいとし、絶対化することです。こういう人には、神の言葉はありませんと言われています。つまり、愛がないということです。厳しいことですが、人間には皆、愛などもともと持っていないのです。イエス様の愛を知って、初めて愛を知るのです。イエス様の愛をいただきましょう。求めるならばいただけるのです。
2017年12月3日
「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」(Ⅱペトロ3:9)主の来臨、終末はどうなってしまったのかという中で、そうではない、と言われています。主の忍耐。主は私たちの悔い改めを待っておられるのです。感謝して、少しでも主のみ心に生きていきましょう。
2017年11月26日
「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」(Ⅱペトロ3:9)このことだけは忘れないようにと言われていることです。大事なことは、神様の「時」のことです。私たちは、神様の「時」の中を生きています。私たちの目には「限り」のある時間のように見えます。しかも一度「限り」です。しかし、それはチャンスです。よい機会でもあります。神様は、限りも与えられますが、私たちに素晴らしい「神様の時」、「恵みの時」も与えてくださるのです。永遠の命につながっています。
2017年11月19日
「夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。」(Ⅱペトロ1:19)預言の言葉とは、聖書の言葉、教会で語られる言葉、私たちに与えられた言葉です。もうすぐ朝が来る、そういう時を私たちは生きています。イエス様が来てくださる時まで、与えられたともし火を点し続けましょう。
2017年11月12日
「この栄光と力ある業とによって、わたしたちは尊くすばらしい約束を与えられています。」(Ⅱペトロ1:4)すばらしい約束とは、主イエス・キリストを知るようになって、永遠の御国へ入れていただくと言うことです。主イエスキリストを知るとは、本当の愛を知ると言い換えてもいいと思います。人は、その愛で生きるのですから。
2017年11月5日
「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」(ローマ12:10)教会の中で、互いに肉親のように優しく接し合い、尊敬をもって互いに相手を立てていきましょうと言われています。兄弟愛という言葉は、フィラデルフィアという言葉で、町の名前にもなっています。素敵な名前の町もあるものです。「神愛」教会もいい名前だと思います。私たちの教会も、神様に愛され、神様を愛する教会です。神様の愛が兄弟愛に具体的に表される教会とさせていただきましょう。
2017年10月29日
| 「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。」(Ⅰペトロ4:12-13) |
「火のような」とは、金を熱して不純物を取り除くという意味です。試練には、いよいよイエス様に対する信頼を確かなものとするため、という意味があります。試練によって苦しむことは、いよいよイエス様に近くあることの証となるのです。だから、喜びなさいと言われています。試練も、それが「キリストの苦しみ」の一部と思い、受け入れていく時、苦しみに意味があることを知ることになります。イエス様が十字架で苦しまれたのですから、その苦しみの僅かでも担わせていただくことが私たちの道ではないかと、教えられるのです。