イエス様は言われました。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(ヨハネ8:7)。「これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った」(9)。姦淫の現場で捕らえられた女性がイエス様の前に連れて来られた物語です。年長者から順に自分の罪を思い起こし、立ち去りました、とあります。長く生きれば生きるほど、それだけ数々の罪が思い出されるものです。石など投げられません。数々の罪を赦していただかねば、天国には行けないです。イエス様の最後のお言葉は、「わたしもあなたを罪に定めない」でした。そうおっしゃって下さるイエス様に感謝して、今からでも遅くありませんから、イエス様に仕えて生きていきましょう。
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2019年7月14日
律法学者は、「だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている」(ヨハネ7:49)と言いました。ニコデモは、知らないのはそれこそあなた達ではないかと言いました。ニコデモはイエス様のために精一杯の反論をしました。人を裁く言葉は、自分に返ってくることを教えられます。
2019年7月7日
イエス様は、エルサレム神殿の大勢の人々の前で、立ち上がり、大きな声で言われました。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ福音書7:37-38)。イエス様が神様から遣わされた救い主と信じ者は、「生きた水が川となって流れ出る」と言われました。聖霊のことです。生きた水とは、自分をも人をも生き返らす冷たい水です。体を生き返らすように、心も魂も生き返らすことができるのです。イエス様を信じることです。イエス様の罪の赦しの十字架と復活の力を信じることです。イエス様は、招いておられます。イエス様が救い主ですと信じ、告白させていただき、希望をいただきましょう。
2019年6月30日
ヨハネ福音書7章はイエス様の兄弟たちに、こんなガリラヤにいないでエルサレムに行き、自分のしている業をみせてやったらいいと言われるところから始まります。そして、そっとエルサレムに行き、祭りの中盤、ついに神殿で教え始められたのです。その教えの最後の言葉が「うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい」(ヨハネ福音書7章24節)です。イエス様は安息日に癒しの業をなされ、ユダヤの人々から裁かれました。イエス様の教えについても勝手なことを言っていると言われました。イエス様はユダヤの人々から殺されそうになっています。イエス様は自分の栄光のために何かをし、何かを言われる方ではありませんでした。お遣わしになった方に従って生きること、です。私たちもそうありたいと思います。
2019年6月23日
「これらの小さな者の一人をつまずかせる」もの、「あなたをつまずかせる」ものに対するイエス様の戒めの言葉に続いて、「地獄の火は消えることがない」と言われています。そして、「人は火で塩味がつけられる」とあります。「塩はよいものだ、その塩に塩気がなくなったらどうなるのか、自分の内に塩を持ちなさい、そして平和に過ごしなさい」と言われています。イエス様の教えが言葉のチェーンのようにつながっているようです。中心の言葉は、「神の国に入る方がよい」です。神の国の反対は何度も出ている「地獄」ですが、神様の裁きを意味する言葉です。その裁きはだれの裁きか。平和に過ごすように言われたイエス様のお心に触れることができたら幸いなことと思います。
2019年6月16日
弟子たちは、誰が一番偉いかと議論していました。イエス様が十字架に向かわれると言われている時にです。イエス様は言われました。「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」(マルコ9:50)味のある言葉、清められた心で互いに和んで生きていくようにと勧められています。努力してできることではないと思います。イエス様を信じて、イエス様の恵みの中で生きていくことが語られているのです。
2019年6月9日
「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。」(マルコ9:42)イエス様は「これらの小さな弟子」をつまずかせないようにと言われています。そして、片方の手、足、目がつまずかせるのなら、それらを切り捨ててしまいなさいと言われました。地獄に行くよりはいいと言われ、地獄では、火は消えることがないと言われました。そして、火で人は塩味がつけられる、塩を持ちなさい、平和に過ごしなさいと言われました。神の国に入るためにこれらの言葉は記憶され、語られていきました。
2019年6月2日
バプテスト教会の歴史的強調点は次の3点です。①目に見える教会は「新生」した教会員によって集められ、「聖なる見えざる公同の教会」に近づくようにと求めたのでした。ですから、信仰告白をした人だけにバプテスマを施しました。信仰者バプテスマです。②個別教会は、一つの教会で自らを治めることができると信じましたが、同時に、独立しつつ、連合を作ることを大切にしました。ですから大阪神愛教会は単立教会とは決して言いません。部会や同盟の交わりを大切にしたのです。特に部会の連合は大切です。③政教の完全な分離、分割を主張しました。イエス様が主ですから、いかなる権威も認めてはならないのです。教会は、国家権力からの自由を主張します。
2019年5月26日
1939年3月23日、宗教団体法が衆議院で可決され、翌年の4月1日から施行しました。この法律は、国が宗教団体の保護、監督を強化するために作られたものです。神道は、この法律の対象にはなっていませんでした。それによって、浪速バプテスト教会は、日本バプテスト浪速基督教会に、淀川バプテスト教会は、日本バプテスト淀川基督教伝道所と名前を変更しました。日本バプテスト基督教団をつくり、翌年には日本基督教団に合同しました。バプテスト教会の政治と宗教の分離、個別教会主義を捨て、国の保護を受けながら、拘束も受けるという中で、戦争協力の道を進んでいきました。反抗も抵抗もできなかったのでした。その12年前にも宗教法案が国会に提案されましたが、その時はまだ反対する力はありました。バプテスト教会は、国から非課税の特典を受けているのだから、監督、指導するのは当たり前ではないかと言われても、「免税のごときは信仰者にとっては問題にならない」と私たちの先輩は言ったのです。国家からの完全な「分離」を主張して、17世紀、イギリスでバプテスト教会は生まれたことを忘れないようにしましょう。
2019年5月19日
「イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。」(マタイ13:14-15)預言者イザヤが語った神様の裁きの言葉をイエス様は言われました。福音を受け入れたあなた方は幸いだと言われています。救いは、イエス様の十字架と復活以外にありません。