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2018年3月11日

この世界には素晴らしいもの、有用なものがたくさんあります。それらはみな神様がお与えになったものです。それらを通して、私たちはもっと神様を愛するようになりたいと思います。しかし、人間は、「滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです」(ローマ1:23)。そして、造り主の代わりにそれらを拝み、仕えたのでした。神様を一番にしましょう。後のものは、みな加えられる「もの」なのですから。(マタイ6:33)

2018年3月4日

「しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。」(黙示録2:4)ヨハネは、啓示を受けて、エフェソの教会にイエス様の言葉を伝えました。「初めの頃の愛」とは、イエス様と出会い、救いをいただき、心熱くされた時と言うこともできます。私たちもイエス様の愛から離れることのないように互いに祈り合い、与えられた証を語り合い、励まし合いましょう。兄弟が離れてしまわぬように。

2018年2月25日

「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(Ⅰコリント6:20)聖霊の宮である体です。最後まで大事に用いさせていただきましょう。それは、隣人に対しても言えることですので、よりよく用いられますようにと、祈り、共に尊敬をもって生きていきましょう。

2018年2月18日

「わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。」(ヨハネ黙示録1:5)私たちは愛されています。しかも、王、祭司とまで私たちを引き上げてくださいました。神様は、私たちをそう見てくださるのです。頌栄の言葉です。私たちも礼拝において、力いっぱい神様をたたえましょう。

2018年2月11日

「しかし、愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。」(ユダの手紙20節)ナザレのイエスは神の子でありました、という信仰を生活のよりどころとするとは、神様がそこまでなさってわたしを愛してくださったということです。その愛に応えて生きいきましょう。聖霊の助けを求めて、主に喜んでいただけるように生活していくのです。それがきっと伝道の働きと思います。

2018年2月4日

教会の伝道がふるわないのは、教会に喜びがないからと言われます。もっと喜びのある礼拝、喜びのある賛美や証や説教があれば、教会は盛んになりますと言いたいのだと思います。しかし、日本の教会150年の歴史の中でいつの時代も、教会は大変だったと思います。責任追及的な議論をしても、そうかわることもないと思います。そういう声が聞こえてくる中で、確かにそうかもしれないけれども、私の救われた喜び、昨日の自分と今日の自分は違うという喜び、いつも希望を持ち続けることの喜びを大切にして、信仰の道を歩み続けていきましょう。一人ひとりにできる伝道があります。来週は創立記念日。伝道のことを語り合いましょう。

「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、…勧めなさい。」(Ⅱテモテ4:2)

2018年1月28日

「このように書くのは、人を惑わす者が大勢世に出て来たからです。彼らは、イエス・キリストが肉となって来られたことを公に言い表そうとしません。こういう者は人を惑わす者、反キリストです。」(Ⅱヨハネ7)

ヨハネの教会の中に、イエス様が全き神であり全き人であったことを否定する人々が現れました。物質は悪であるから、神が肉をとるなどということはないのだと考えました。イエス様の救いを認めないのです。

イエス様を通して私たちは神様を知り、恵みによって私たちは救われます。イエス様の完全な愛の中を歩ませていただきましょう。

2018年1月21日

「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。」(Ⅰヨハネ5:4-5)イエス様が十字架で死なれ、復活されたこと、それが世に打ち勝ったと言うことです。そのことを信じる信仰によって、私たちも世に打ち勝つのです。イエス様が私たちと同じ人となられたのは、私たちも神の子としていただくためでした。イエス様の復活を信じる信仰をいただいて、この世にあって強く生きていきましょう。私たちは光の子です。

2018年1月14日

パウロは、コリントの教会の人々に、いつも神様に感謝していますと手紙に記し、「あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされて」(Ⅰコリント1:5)いるからですと言います。しかし、「わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました」(1:11)と書きました。コリントの教会に起こったことは、分派争いでした。「信仰や知識」によってもたらされました。パウロは、「キリストは幾つにも分けられてしまったのですか」と問います。霊によって信仰も知識も与えられますが、パウロは言いました。「愛がなければ無に等しい」(13:2)と。愛を求めましょう。

2018年1月7日

人は、やればできると言います。でも、やれないこともあります。それでもあきらめないで一生懸命生きる時、天の神様は私たちを喜んで下さると思います。完璧な人はいません。人にはプラスの面もマイナスの面もあります。それでもいいところを見つけて、その人を信じる時、神様はそういう私たちを喜んで下さると思います。友を赦し、友に赦されて、ごめんね、ありがとうと互いに言える時、神様は本当に喜んでくださると思います。この年、神様に少しでも喜んでいただけるように、神様を悲しませないようにして生きていきたいと思います。「命を愛し、/幸せな日々を過ごしたい人は、/舌を制して、悪を言わず、/唇を閉じて、偽りを語らず」(Ⅰペトロ3:10)です。