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2017年10月22日

「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。」(ローマ11:36)この言葉が、ローマ書1章から11章までの最後の言葉です。十字架の福音、信仰によってのみ救われること、万人の救いなどが語られました。パウロの結論は、全ての人が神様の愛と憐れみの中にあるのだから、がっかりしたり、逆に高ぶったりしないで、全てを委ね、生きていきましょうと言うことでした。「すべて」が神様の御手の中にあります。神様は、見ていてくださるのです。守り支えて下さっておられるのです。それだから、12章以後の実践的教えにアーメンと言うことができるのです。

2017年10月15日

「心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。」(Ⅰペトロ3:15) 福音の反対者たちと戦うために理論武装しましょうということではありません。単純に身近な人にも、どうしてクリスチャンになったのですか、教会に行くのですかと言われたら、困ったりしないで、喜んで私たちに与えられた希望を語りましょう、と言うことです。聞かれることがあったら、それは嬉しいことです。聖霊が何をどういえばよいか、教えてくださいます。私たちがまずキリスト者として「いる」ということだけでもすばらしいことなのだと思うのです。そして、ここに私たちの教会が「ある」ということも。感謝です。

2017年10月8日

「あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。」(Ⅰペトロ2:21) これは「召し使いたち」に語られた言葉です。不当な苦しみや苦痛をも我慢しなさい、忍耐しなさいと言われています。キリストが模範を示されたのだから、と言われています。このみ言葉が記された時代は、奴隷制度が当然のようにあった時代です。イエス様の受けた傷によって召し使いの人々は慰めと癒しが与えられました。「善を行って苦しみを受ける」ことを選び取るために召されたのです。イエス様の愛の力でただ我慢するだけではなく、ののしられてもののしり返さない(23)力も与えられた人たちがいたことを思います。そういう生き方ができるくらい、イエス様の十字架は強いと思います。

2017年10月1日

「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。」(Ⅰペトロ2:2)

「霊の乳」とは、「福音として告げ知らされた言葉」(1:25)です。イエス様が罪人である私たちのために悔い改める以前から私たちを選び分け、闇の中から光の中へ招き入れてくださいました。その神様の業を私たちが伝えていくためにです。救われた私たちは、喜んでその働きに与らせていただくのです。

2017年9月24日

「知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。」(Ⅰペトロ1:18-19)

「先祖伝来のむなしい生活」とは、イエス様に救われる前のことを指しています。神の子イエス・キリストの十字架によって、私たちは愛されていることを知ったのです。愛されていることを教えられて来なかったむなしい生活は終わりました。むなしさの反対は、意味があると言うことです。イエス様の十字架によって、意味あるものにかえてくださったのです。感謝です。

2017年9月17日

「あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。」(Ⅰペトロ1:5)

ペトロの手紙は、バプテスマ準備会のために書かれた教会のテキストとも言われています。基本的教え、信仰生活の具体的な勧めが記されています。あなた方は「守られています」とのみ言葉がこれからクリスチャンになろうとした人々を大いに励ましたことでしょう。「守られている」のは私たちのことでもあります。感謝!

2017年9月10日

「あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。」(ヤコブ5:8)

ヤコブ書の中心的言葉は「忍耐」です。「試練によって信仰が試され、忍耐が生じ、完全で申し分のない、何一つ欠けたと頃のない人となるから」 (1:2-4)です。イエス様がすぐに来てくださるのです。もうイエス様は近くにおられるのです。だから、忍耐できるのです。試練が「この上ない喜び」ですとは、なかなか言えないのですが、イエス様と結ばれていれば、罪が増すところに恵が増すように、喜びや希望も増し加わるのです。

2017年9月3日

「兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません」(ヤコブ4:11)。ヤコブ書4章は、教会内の争いについて戒めています。悪口を言い合うな、誇り高ぶるなと教えています。頭では分かっていますが、できないのです。「人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です」(17)とも言われています。

パウロも「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」(ローマ7:9)と言っています。パウロは、自分のみじめさを見つめながら、そこで、「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです」(7:25)と言いました。肉もろとも十字架につけられ、死にご自身を渡されたイエス様の救いに感謝しましょう。

2017年8月27日

「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。」(ヤコブ4:1)

ヤコブは、教会の内部争いや、力のある人々が弱い人々をさげすんだり、恥をかかせたりしている現状を前に、信徒の一人ひとりに教え、勧告しました。あなた方は、「人を殺します」、「世の友」、「神の敵」とまで言われています。そう呼ばれたくなかったら「悪魔に反抗しなさい」、「神に近づきなさい」と言われています。自力では到底無理なことかも知れませんが、ヤコブは、それでもあまりに罪深い私たちに向けても、その罪を自覚するように勧めているのです。

裁きではなく、イエス様だけをみて、愛と赦しの満ち溢れる教会となれますよう、祈り合いましょう。

2017年8月20日

8月13日、NHKで終戦記念日特集「満州731石井細菌部隊とエリート医学者」という番組がありました。731部隊の存在については、戦後関係者が、固く口を閉ざし、闇に閉ざされ、国民の前に明らかにされませんでした。この番組では、ソ連に抑留された731部隊関係者と固く口を閉ざしていた国内の関係者の生の映像と音声による証言、最後は、帰国直前で自死された関係者の裁判で今の気持ちを問われた方の謝罪の言葉でこの番組は終わりました。自分には日本に帰れば父や母や家族がいます、という言葉で始まる泣きながらのお詫びの言葉でした。「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。」(マルコ4:20)のです。主のみ言葉の通りと思いました。