2017年3月26日

「死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした」(ヘブライ2:15)。イエス様が神様であられたのに私たちと同じ肉の姿を取られ、十字架で死なれたのは、私たちに自由を与えるためでした。奴隷状態からの解放です。イエス様は、「すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」(18-19)とある通りです。

私たちは、伝道します。何を伝えるのでしょうか。それは、もはや死をも恐れないということです。喜びと希望を知っていると言うことです。教会が伝えるものは、イエス様による救いの喜びです。私たちに与えられたものは、大変大きな喜びです。この喜びを宣べ伝えていきましょう。

「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(12:2)。最後まで、与えられた生涯をイエス様と一緒に歩き通しましょう。復活の命、永遠の命が与えられているのですから。

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