「天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探究し、知恵を尽くして調べた。神はつらいことを人の子らの務めとなさったものだ。わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。」(コヘレト1:13-14)
多くの知恵や知識は空しいものなのでしょうか。人生の中で経験することは空しいものなのでしょうか。空しいとは、役に立たない、無駄という意味ですが、本当にそうなのか、一人一人が最後に答えを出さなければならない時が来ると思います。その「時」は突然やってくると思います。その「時」に備えなければなりません。だから、イエス様は、いつも目を覚ましていなさいと言われたのだと思います。
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2022年1月16日
食べてなくなってしまうパンを用いて、イエス様は本当の命のパンをいただく喜びを教えてくださいました。イエス様こそが命のパン。残ったパンくずは、集められ、また用いられます。何度も用いられます。
2022年1月9日
十字架で死ぬことがイエス様の目指す栄光です。十字架を通って復活に与るのです。その歩みを始めようとした時、結婚式に招かれ、ぶどう酒がなくなったのです。奇跡を望む人が現れました。「ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った」(ヨハネ2:3)。イエス様は、「わたしの時はまだ来ていません」(2:4)とお答えになりました。イエス様にとりましては、水をぶどう酒にかえることは簡単なことだと思いますが、それはイエス様のお考えではありません。しかし、イエス様はその願いをお聞きくださいました。大体のして私たちの願いは、イエス様のお考えとは違うのでしょう。それでもイエス様は、人に仕えてくださるのです。それが神の子のしるしなのです。
2022年1月2日
イエス様ご降誕のクリスマスは大きな喜びです。しかし、マタイ福音書2章後半になると、一転して悲しみに変わります。2章16節「さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」とあります。そして、エレミヤが預言した言葉が実現したと言われています。エレミヤは、イスラエル滅亡、バビロン捕囚の嘆き悲しみを預言したのですが、マタイ福音書は、それと重ねたのです。イエス様は、難を逃れましたが、どれだけの子が殺されたことでしょう。これは、神様の御計画ではなく、人間の罪がしたことです。
2021年12月26日
「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」そして、ヘロデと別の道を学者たちは歩み始めました。占星術の学者たちの喜びとは何だったのでしょう。ユダヤの王の星を見たのですが、彼らとどういう関係があるというのでしょう。旅の終わりで、またあの不思議な星に導かれたからでしょうか。私たちは生涯、求め続けるこの学者のようです。見いだした喜びで、一人一人が与えられた生涯を歩んでいきます。
2021年12月19日
マタイ福音書は、その書き出しでイエス様までの系図を記しました。アブラハムの子、ダビデの子の系図でしたから、それはユダヤ人の系図です。2章になり、救い主を待ち望んでいたのは、ユダヤ人ばかりではないことが記されています。しかも、イエス様誕生の知らせを告げる星は、占星術の学者だけでなく、ヘロデ王、ユダヤの人々も見たのですが、救い主を見いだしたのは、ユダヤ人ではなかったことが分かります。学者たちは、イエス様を信じる道を進んでいきました。
2021年12月12日
「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」(マタイ1:19)。ヨセフの正しさは、ユダヤの掟をきっちりと守ることができるということです。そのようにヨセフは生きてきたのでした。しかし、天使の言葉によって、その生き方が崩されました。崩されて、ヨセフか変えられたのです。縁を切る生き方から、迎え入れる生き方へと変えられました。「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」(20)。クリスマスは、迎え入れる時です。イエス様を迎え入れるとは、具体的には隣人を迎え入れることです。クリスマスとは、イエス様を礼拝し、人とつながることです。
2021年12月5日
聖書は、創世記から始まります。天地創造の物語から、エジプトに下ったヨセフ物語までが語られています。新しい世界が神様の自由さの中でつくられていきました。英語では、ジェネシスです。これは、系図という聖書の言葉ゲナシスから出来た言葉です。イエス様の系図もまた、神様が新しい世界をおつくりになったことが語られています。神様は、今も新しい世界をおつくりになります。神様は、イエス様のご降誕を人間を救う歴史の中心に置かれたのです。
2021年11月28日
「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。』」(マタイ6:6)。イエス様は、偽善者のように人に見せるような祈り、異邦人のようにくどくどと祈る祈りをしないようにと教えられました。神様は、祈る前から私たちの必要をご存知だからです。だから、こう祈りなさいと教えてくださいました。その教えによって、世界の人々とつながって、祈りをすることができるようになりました。私たちが祈っている「主の祈り」です。
2021年11月21日
テサロニケの教会のある人たちは、世の終わりがすぐに来ると思って、毎日の仕事を捨て、日常から逃げてしまいました。世の終わりとは、イエス様が来られ、天上、地上、先の召された聖徒らと共にヨハネ黙示録に記されているような素晴らしい礼拝が捧げられる時です。聖書の言う世の終わりとは、希望です。まだ最後のその時は来ていませんが、私たちは毎週、その時を先取りして、喜びと感謝の礼拝を捧げています。