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2020年2月23日

「あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである(ヨハネ15:27)。」私たちの務めは、主を証しすることです。証しとは、「ナザレのイエス」が神様の子でありましたと証言することです。イエス様は、神様であられたのに。すべての罪を負われ、十字架にまでおかかりになりました。そして、復活され、今も私たちと共におられます。

2020年2月16日

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる」(ヨハネ15:1-2)。実は、新しい枝にしかなりません。そのために神様は、剪定されます。そして、私たちのために実がなるようにして下さるのです。日々、イエス様を主として、復活を信じ、イエス様に従っていくことです。新しい芽、新しい枝にしていただくために、不信仰の古い枝は手入れしていただきましょう。

2020年2月9日

大阪神愛教会前身の浪速バプテスト教会は、1903年5月12日に教会設立会議を開催し、満場異議なく教会は組織されました。そして、1909年3月4日、献堂式を行いました。「会員たちは、建気に牧師を支え、また新しい会堂のために献金した。昨年度は一人あたり6円20銭捧げた。これは特に金持ちのいないこの教会の状況を考えると非常に大きな金額である」とスコット宣教師は本国に報告しています。大島良雄先生の「バプテストの大阪地区伝道」からの言葉です。心に残る言葉の一つです。ここを読むにつけ、先輩に習い、やっぱり自分もそういう捧げる信徒になりたいと思っています。

2020年2月2日

沖縄での学び① 沖縄には「門中」という制度があります。那覇バプテスト教会の姉妹の方の家を訪問しました。旧正月ということで門中の方々が次々と集まって、そうめんを食べるとのことでした。そうめんは、「揖保の糸」でした。そこに系図があって、それは門中・一族を記したものでした。門中を整理したりするのも牧師の仕事の一つのようです。名護城の一番上に小さな祈り場があって、「・・門中以外は祈らないでください」と注意書きがありました。始祖の神様がそこにおられるようです。そしうて、普段も一緒にいるようで、沖縄の先祖崇拝は、かなりしみ込んでいると思いました。

2020年1月26日

「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」(ヨハネ14:27)平和、または平安とも訳される言葉です。この世の平和ではなく、イエス様から与えられるイエス様の平和があります。今、私たちは、イエス様との交わりの中で生きていますので、感謝です。

2020年1月19日

「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。」(マルコ16:1-2)安息日は金曜の夕方から土曜の夕方です。女性たちは明るくなるのを待ってイエス様の墓に向かいました。それは「週の初めの日」です。日曜日です。その日、墓が空であることを知ったのでした。日曜日は、イエス様の復活を祝う日となりました。後の教会の人々は、この日を「主の日」と言うようになりました。

2020年1月12日

1939年、「宗教団体法」が成立し、戦前の神愛教会でした浪速バプテスト教会は、3年後、大阪新町教会に、日本バプテスト淀川基督教伝道所は、淀川伝道所となり、日本基督教団の第4部に入りました。バプテストが一番大切にしてきた政教分離と個別教会主義を捨てたのでした。それから戦後、二つが合同し、1948年、日本基督教団の大阪神愛教会として出発しましたが、日本バプテスト大阪神愛教会となるには10年の時が過ぎました。戦後は、キリスト教ブームで大勢の人が教会に集まりました。しかし、戦前の体制がそのまま残され、戦争に協力したことの反省もありませんでした。今こそ、バプテストとは何かを考える時と思いました。明日の部会研修会が祝されますように。

2020年1月5日

クリスマスから大晦日、元日と日本ではこの1週間でいろいろな宗教行事を体験することができます。大晦日には、「大祓」(おおはらえ)と言って1年間の穢れをきれいに流してもらい、鐘をつき、新年にはきれいになって、「みそぎ」を済まして神様にいろいろとお願いします。これが日本に住む人々の一般的な宗教感覚でしょうか。私たちは、そういう中でかなりの少数者としてキリスト者として生きています。ですから、こういう国の中で主を証ししていくことはそう簡単ではないですし、何でもいいではないかという考えにながされてしまいます。逆に、自分がキリスト者であるとはどういうことかを自覚することになります。毎週の礼拝出席がバプテスマをいただいた私たちの務めです。新年にあたり、「目を覚ましていなさい」とのイエス様のお言葉を心に留めましょう。

2019年12月22日

「こうしてイエス様は馬小屋の、馬ぶねでお生まれになりました、一番貧しい暗い場所でお生まれになりました…」。毎朝、この歌を公園で歌っています。神様が私たちを罪から救ってくださるために、人となってくださいました。罪とは、神様と離れてしまったことです。イエス様は私たちと神様の関係を元に戻そうと、十字架にまでお架かりになりました。歌の続きは、「今もずっとイエス様は泊まるところをお探しです、私たちもイエス様を心開いて迎えましょう」です。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(ルカ2:7)。神様からの大きなプレゼントのイエス様を悔い改め、感謝していただきましょう。

2019年12月15日

「ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、『しようとしていることを、今すぐ、しなさい』と彼に言われた」(ヨハネ13:27)。サタンが入ったとしか表現のできないことが起こります。自己責任で終わらせることのできないことが起こります。イエス様も一緒に悩み苦しみ、その責任を負って下さるのだと思います。イエス様の十字架が見えます。それは赦しであり慰めです。そして、復活が見えます。その出来事の中に希望があると教えています。それは終わりではなく、始まりなのです。