2022年10月9日

マタイによる福音書11章17節は、当時の「あまのじゃく」を意味する格言として用いられていたのかも知れません。バプテスマのヨハネは修行としてしばしば断食しましたが、その姿は「悪霊にとりつかれている」と馬鹿にされました。ところが逆に、イエス様があまり断食をせず、多くの人々と会食を楽しむと、「大食漢で大酒のみだ」と欲深だと馬鹿にされました。世の中の評判は、内容の良し悪しではなく、相手に対する印象で決まったり、先に攻撃しようという悪意によって、評価がねじ曲がったりします。しかし、神様の救いの働きは、まっすぐ進みます。人がなんと言おうと、正しく生きる人を、神様は助けて下さるのです。

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