2023年7月23日

聖書における「霊」という言葉は、目に見えないものを表す包括的概念です。「霊」には人の「霊」とか「良い霊」「悪い霊」などの種類があり、人の心や精神という意味でも用いられます。しかしローマ書8章26節では、「神さまの霊」が私たち人間を助けて下さる、と言っているようです。人は言語化することで、考えていること、感じていることを相手に伝えたり、自分自身で確認したりすることができます。しかし、思いがまとまりきれていなくて、言語化されていない事柄もあるでしょう。そうしたなんと言って良いかわからない人の心の思いを、神さまはご理解下さり、人が自覚的に助けを求める前から、必要な助けを備えていて下さるのだ、と聖書は教えているようです。神さまは、人の心の言葉ならぬ言葉をも理解して下さる方なのですが、直接知るばかりではなく、「神の霊」という仲介者を通して事情を知って下さるようです。聖書の世界の「仲介者」たちの代表は、手紙を届ける人たちです。彼らは手紙を届け、物事を正確に伝えるだけではなく、外国語で書かれている文書であれば相手に理解出来るように翻訳したり、表現の意味するとこを著者の意図を解釈して伝えたりする、メッセンジャーでした。「神の霊」は人間の側に立って、人間の思いを神さまに受け入れていただけるように、語り直して下さる存在であるようです。だから、誰にも自分の思いが解ってもらえない、という孤独に苦しむとき、言葉が整わなくて、こんな自分勝手なことをお祈りしても良いものか、と心配しずぎずに、なんでも神さまにお祈りして良いのだ、安心しなさい、と聖書は私たちを励ましているのではないでしょうか。

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