2023年7月16日

マタイによる福音書22章37-40節でイエス様は、「神を愛し、隣人を自分のように愛すること」が聖書の中心点であると教えておられます。「基づいている」と訳されているギリシア語「クレマヌーミ」は、「ぶらさがる」という意味です。木に実がぶらさがっている、とか扉が蝶番でつながっている、という意味で使われます。もし木がなければ実は実りませんし、蝶番がなければ扉は倒れた板になってしまいます。聖書には、神さまからの言葉が記され、様々なことが教えられ、人生の道しるべが示されています。しかし、もし神を愛し、隣人を愛することが欠けてしまえば、全ての教えは無駄となり、何の実も結ばなくなる、とイエス様は言っておられるようです。宣教者パウロは、諸教会に対して多くの手紙を送って助言をし、また多くの地域でイエス様の教えを伝えて、多くの教会を創設しました。パウロは素晴らしいメッセンジャーであり、たくさんの人々を励まし、神さまの救いの恵みに導きました。しかし、もしイエス様の言われる愛に欠けてしまえば、どれだけ立派な話をしても、相手にとっては騒音と変わらなくなる、と言っています。日頃からの挨拶などの言葉かけ、日常の信頼関係を築く隣人愛の実践があるからこそ、神の愛が人の心に受け入れられるのだと、聖書は教えているようです。

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