2025年3月2日

聖書の舞台であるパレスチナ地方には、死海と呼ばれる塩分濃度の高い湖があります。あまりに塩気が強すぎるので、この湖には魚のような生き物が生きることが出来ないので死の海と呼ばれるのです。しかし、この死海、そして周辺の塩の谷から採れた塩は、人々の生活を助けるために用いられています。塩は食べ物の保存のため、食事に味をつけるため、ほどよく薄めて農地にまくなど、さまざまな使い方をされます。マルコによる福音書9章50節では、神様を信じる人たちの信仰と信仰生活を塩と塩気になぞらえているようです。古代社会では塩のような粉の類いは、しばしば砂や、不純物をわざと混ぜることで、利益を増やそうとされることがありました。酷いものになると、ほとんど不純物になってしまう、なんてものもあったかも知れません。塩だと思ったら砂の方が多いなんてことになれば、それはもはや塩とは呼べません。神さまを信じる人たちが、信じると口にしながらも、信じている人にふさわしい生活を心がけないで、抜け道ばかりさがして罪を犯し続けているなら、塩とは名ばかりの塩もどきのような存在になってしまいます。精製された純度の高い塩であれば安心して大いに用いられるように、私たちもますます清められて、神さまの救いのお働きに用いられますように。

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