2022年7月17日

コリントの信徒への手紙第一10章では、出エジプトの出来事を、イエス様を信じた人の姿になぞらえています。かつてエジプトで奴隷状態となっていた神の民ヘブライ人は、神様につかわされたモーセに従い、多くの奇跡の働きを経験し、自由を得ました。神様とモーセは、人々を自由にしたのだから、あとは各々に任せても良かったでしょう。しかし、約束の地カナンへと導くことにし、人々が自分たちの自由な意思で人生を切り開いていくことが出来るようになるまで、準備期間を設けることにしました。それは神様の一方的な、見返りを求めない愛によるものでした。ところが、人々は段々と与えられることを当然と感じるようになり、もっと豊かにして欲しいと不満を言い出すようになりました。そして、労せず豊かにしてくれる存在を求めて、偶像礼拝を始めました。その結果、神様の怒りを招き、多くの人が自ら滅びに至ったのでした。イエス様を信じた人は救われ、永遠の命を得たと信じる人々です。ところが、それを当然と思い、労せず神様によって人生の豊かさや心地よさを得ようとするなら、出エジプトの人々と同じく、自らの心に偶像を作り出すことになります。足るを知る者は富む、強(つと)めて行なう者は志有り。と言います。足らないと不満をいうのではなく、必要なものは既に与えられていると信じ、神様に感謝して日々の生活に努める人は、朽ちぬ財によって豊かになっていくのではないでしょうか。

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