2023年6月4日

ルカ福音書15章後半では、「放蕩息子のたとえ」の放蕩息子の兄が登場します。兄息子は放蕩した弟息子と違い、日々真面目に働いてきました。放蕩した弟と違い、父が生きているのに遺産を当てにしたこともありません。それなのに、自分は良い働きの報いが与えられず、放蕩した弟にはその価値もない宴会を開いて喜ぶのは、受け入れがたいと怒ります。しかし、父は怒る兄息子をなだめて、自分の持ち物は全て兄息子のものになる、つまり兄息子が真面目に働くのは、彼自身の財産が豊かになるためなのだから怒ることはない、と諭します。そして、弟は死んでいたのに生き返った、あり得ないことが起きたのだから、特別に喜ぶのは当然だと言います。この物語の中で、兄息子は愚かだった弟、真面目に働いてきた自分という過去を見ています。しかし父親は、回心してこれから真面目に生きるであろう弟息子、自分の家を受け継ぎ豊かになるであろう兄息子という未来を見ています。この父親の姿が神さまになぞらえられています。神さまは人の罪深い過去ではなく、悔い改めた後の生活に期待して下さり、正しく真面目に生きてきた人が、その正しさの故に豊かに報いられることを望んで下さる方です。神さまは過去の過ちを悔いる人を赦し、今はすぐに赦せない人たちが、未来には共に生きることを願って、全ての人を幸いへと導いて下さる方です。

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