2024年12月29日

フィリピの信徒への手紙の著者であるパウロは、大変立派なキリスト者として知られています。しかし、彼ほどの人物であっても、自分はまだまだ完全な者には遠い、と謙遜しています。この謙遜さは心ではおごり高ぶっているようなうわべだけのものではなく、本心からまだまだだと言っています。パウロが追い求め続け、謙遜にならざるを得ないのは、復活の恵みに与る、ということについてでした。パウロはイエス様を信じる信仰によってすでに自分が罪から清められ、新しい命、新しい人生が与えられているという意味での復活の恵みを、すでにいただいていると確信していました。しかし、肉体を伴う復活という神秘はまだ経験しておらず、どのような形でなされるのか、はっきり解ってはいません。だからまだ自分は復活の恵みについては確信していても、完全に捕らえ切れてはいない、自分は死ぬまで信仰の探求者なのだと言っているのでしょう。パウロがこのように自らの信仰理解における不完全性を告白するのは、信仰の友らが、完全な者になったのだと思い込む高慢に陥らず、共に謙遜に新しい命を追い求め続けて欲しいと願っていたからでしょう。自分の信仰歴を誇り、高慢に陥らず、死ぬまで新しい命を追い求める人こそ、復活の恵みの只中に生きているのです。

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