新約聖書の舞台であるローマ帝国では、大変立派な舗装道路が作られており、その一部は現在でもつかわれています。しっかりと整備された道は、歩きやすくより早く移動することが出来ます。しかし、どれだけ立派な道であろうとも、目的地へ向かうのではない道をいくら進んでも、目的地に着くことはできません。現代人はスマートフォンの地図機能を使って、あちこちに行くことが出来ますが、もしそうしたなんらかの案内がなければ、誰も初めて行く場所に向かって正しく進むことはできないでしょう。聖書では道を人生になぞらえています。人生は道が枝分かれして、あちこちに伸びているように、様々な決断と選択によって方向が変わるものです。神様を信じて生きるという決断をして、天国を目指して日々清められて人生の道を進んでいるつもりでも、途中でいろいろな誘惑に出会って、本来の道を外れてしまうこともあるでしょう。迷子を見かけたら、目的地に行くための手助けをするのが親切心であり、イエス様の教えておられる隣人愛の表れでしょう。それは人生という道も同じで、罪を犯したり、誘惑を受けてふらふらと天国への道から外れてしまった人がいたら、「あんたの行く道はこっちやで」と声をかけ、時には優しく肩をどついて?方向転換させてやりなさい、と聖書は教えているようです。