古代社会において血液は、命の象徴とされていました。東アジア、ヨーロッパ、アフリカでは、指や腕を切って血を出して、約束や誓いを交わすもの同士が混ぜ合わせたり、飲んだり、あるいは動物のいけにえを献げて血を流すことで通常の約束よりも重い、必ず守らなければならない契約を結ぶときの儀式として行っていたようです。聖書の中でも、神様への感謝や悔い改めの祈りを献げるときに、動物のいけにえを献げ、その血を礼拝所や祭壇に注ぐという儀式がありました。レビ記17章では血は命そのものであり、罪人の命を赦す象徴として動物犠牲の血を流すことが定められています。このような儀式に参加した人々は、過ちを犯した自分の代わりに命そのものである血を流して死ぬ動物の姿を通して、自らの罪深さが破滅に向かう深刻さを持っていることを思い起こし、再び同じ過ちを繰り返すまいとする悔い改めの思いが一層強まる効果があったかも知れません。このような身代わりの死と命である血を流すことによって罪清められ、赦しを得るという信仰は新約聖書の時代に、イエス様の十字架に重ね合わせられるようになりました。ヘブライ書9章では、この十字架のイエス様の血は、十字架を思い起こす人に心理的に悔い改めの思いを起こさせるだけではなく、命をかけた救いの契約のための血でもあったと教えています。人が罪へ無自覚さであり、無知であったとしてもなお、イエス様の血の約束によって、救いの恵みは有効であり、神様は血盟によって、人を罪から清めるために導き続けてくださるのです。