この箇所で「考えなさい」と訳されたギリシア語「ロギゾマイ」は「論理」を意味する「ロゴス」の変化形の一つで、「思う」や「感じる」のような感情、感覚的な思考とは異なり、「計上する」や「評価する」のような理性、論理的な思考を意味します。つまり、イエス様の救いに与り、神さまを信じて生きるということはすでに、十字架の出来事を通してなされていると信じつつ、自分自身が救われた者として相応しく罪から離れ、清められた人として何が出来ており、何が出来ていないのかをしっかり考えることが大事だと教えられているようです。1-12節では、キリストと共に、一体的に、という言葉が繰り返されています。キリストと共にいる人は、もはや罪が罪と解らなかった時や、罪に支配されていた時のように罪を犯し続けることが出来ず、悔い改めへと導かれます。また一人で孤独に考えるのではなく、独善に陥らないように、罪人を友と呼び、清めて下さるイエス様のお言葉に聞き、神さまのお導きによって得られた信仰の仲間と共に考え、共に成長することが出来るのだと、聖書は私たちを励ましているようです。