癒された人々が夕方に来た理由については、色々な理由が考えられます。先ずこの日は安息日の日だったようです。ユダヤの一日の考え方は、日没から日没までです。日没後は次の日の始まりなので、夕方の日没後であれば安息日が終わり、新しい一週間が始まります。安息日が終わっているのだから、人々は安息日の違反行為として労働をしていると見なされることなく、安心して癒されることができました。次に、悪霊や病気の人は、当時の人々から汚れている、罪深いと見なされることがあったので、人目を開けて夕方にイエス様のところにやってきた、という理由があったのかも知れません。三つ目に、夕方は終わりの象徴でした。病気や悪霊に悩む人生が、イエス様との出会いによって終わり、神さまの愛によって新しい人生が始まったことを示しているのかも知れません。日本の文学の中では、日中が少なくなる秋は、夕暮れに重ねられ、悲しさや寂しさの表現として使われることがあります。しかし、イエス様の秋の夕暮れは、悲しみの終わりであり、喜びが始まる時なのかも知れません。