2025年10月19日

コヘレトの言葉は、必ずしも満足した報いがあるとは限らない人生の労苦を「空しい」と表現します。しかし、この空しさは何をしても無駄だから、努力をするのを止めようという投げやりな気持ちの表現ではなく、自分自身を幸せにしようと、自己中心的に生きようとすると、かえって幸せが遠ざかるものである、という逆説が示されているようです。人間は日頃の生活の必要を満たすために、様々に働き、努力をする必要があります。そうした努力自体はもちろん必要なことです。しかし24節では、働きの報いがたとえ小さく、ささやかであろうとも報いが少ないと不満に思わず、誰かと比較することなく喜ぶことが出来るのは、それ自体が神さまから与えられている恵みの一つであると教えているようです。コヘレトの語る空しさは、神さまを信じていても日々の生活の中で苦しみを感じ、時には言葉にして不満を語りたくなる人間の現実を示しています。しかしそうした不満を言葉にした時に不満で終わらずに、神さまが共におられ、日々必要なもので満たして下さると信じて感謝することが出来る人は、与えられている喜びに気付くことが出来るのだと、聖書は教えているのではないでしょうか。

Follow me!