救いの起点も成立も完成も「恵み」にあります。恵みとは、神が先行して与える好意であり、対価や功績に応じた報酬ではありません。「信仰によって」という句は、恵みが人に実際に適用される「受け取り方」を示します。信仰は、空の手で差し出して受け取る姿勢です。続く「このことは」が何を指すかは議論があります。文法的には中性形で、直前の「恵みによる救いが信仰を通して与えられる」という全体の出来事を指すのが自然です。すなわち、救いの計画も成就も、その人が自ら生み出したものではなく、丸ごと神の贈り物である、という強い宣言です。9節で人間の誇りが否定されるのは、信仰自体を“手柄”化する傾向への歯止めでもあります。信仰は“功績化”するとたちまち自己義認の高慢さに転じます。だから、救いの根拠(恵み)は神にのみ属し、救いの手段(信仰)は人の働きではない、と二重に釘を刺します。続く10節では、救いが善行を不要にするのではなく、むしろ「善いわざへ」と人を新創造することを示します。順序は決定的です――善いわざは救いの原因ではなく、恵みによって新しくされた者の実りです。