この節は、イエスさまがご自身の死と、その死がもたらす実りをたとえで語った言葉です。十字架の「時」が来たことを受けて語られます。「一粒の麦」はイエスさまご自身のことでもあります。麦の粒は、そのまま大事に取っておけば一粒のままですが、土に落ちて「死ぬ」と、殻が壊れ、中のいのちが解き放たれて、多くの穂と実を実らせます。同じように、イエスさまが十字架で命をささげることによって、多くの人が救いにあずかり、新しいいのちを持つようになる、という意味です。同時に、このたとえは弟子たちにも当てはまります。続く箇所で、イエスさまは「自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至る」と言っておられます。自己中心を握りしめて生きれば、いのちの本当の実りは失われますが、神の御心のために自分を手放すとき、そこに多くの実りが生まれる、というキリスト者の生き方の原則が示されています。