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2022年6月19日

旧約聖書の言葉で、イエス様たちの母国語であるヘブライ語(アラム語)では「お父さん」のことを「アブ」とか「アバ」と言います。イエス様の時代には、成人が自分の父親を呼ぶときの表現として一般的に使われていたようですが、もともとは幼児語で「お父ちゃん」ぐらいの砕けた表現であったようです。幼子が父親を「アバ」と呼ぶのは、我が子にそう呼ばれることを望む父親の愛があるからです。聖書の神様は、私たち人間のことをそれくらい愛しておられる、とイエス様は教えておられるようです。しかし、この愛の関係は人間が良い子だからとか努力してそうなったのではなく、神様の霊である聖霊の働きによってそうしていただいたのだとパウロは言います。この聖霊の働きによって、人は神様からの罰を恐れるが故に命令に聞き従うのではなく、自由な自発的な喜びによって神様の言葉を実行するようになります。鳥が飛び方を、獣が獲物の捕り方を親からならうように、私たちが天の父なる神様から、人生を活き活きと生きる道を示されているのです。

2022年6月12日

同じ出来事を記した、マタイ19:13-15とマルコ10:13-16では「子ども」は「パイディア」という単語です。「パイディア」は現在でいうとだいたい小学生以下の幼な子を意味します。一方ルカ18:15では「乳飲み子(ブレフォス)」とあります。赤ちゃんです。イエス様のお話を聞いてもさっぱり解らなかったでしょう。16-17節のイエス様の言葉では「子ども(パイディア)」をわたしのところに来させなさい、とおっしゃいます。ちょっとだけ解りそうな人も、まったく解らない人も、誰かに連れてこられた人も、来たい人はみな来なさい、来た人はみな近寄りなさい、とイエス様はおっしゃいます。あれこれと複雑に考えて、自分が完全に納得しないと信じないという人ではなく、神様のこととかさっぱり、ちょっぴりしかわからないけど、なんかイエス様は優しそう、良さそうだから近づいてみよう、という子どものような人が神の国を受け継ぐ、とイエス様は教えておられます。恐れなく近寄れ。神の愛は何人も妨げること能わず。

2022年6月5日

本日は、キリスト教三大記念日の一つ、ペンテコステ礼拝です。ペンテコステは新約聖書の言葉、ギリシア語で「50番目」を意味しており、イースターから50日目にあたります。使徒言行録2章によれば、ペンテコステの日に、集まっていたキリスト者たちに聖霊が降り、キリスト教会としての活動が始まりました。ですから、ペンテコステはキリスト教会の誕生日でもあります。聖書では、聖霊に満たされた人は、異言や預言を語るようになります。つまり、神様のことについて、誰かに何を話したくなってたまらない状態になるということです。私たちが神様について話したくなるときは、聖霊に満たされているのかも知れません。

2022年5月29日

成長すれば何倍もの実を結ぶ種。この種を、畑以外の場所にも蒔くことは、非効率に思えます。しかし、種を蒔く人は、こぼれ種のことを惜しんで種まきを止めたりしません。同じように、神様の御言葉、神様の恵みは、たとえその人が受け入れなかったとしても、どんな人にも注がれます。多くの種は実をつけませんが、より多くの種は何倍もの実をつけます。種を蒔く人は、無駄になったものを嘆くよりも、実を結んだものの大きさを喜びます。一人の罪人が悔い改めるなら、天使たちが喜びます(ルカ15:10)。神様の恵みを喜び、御言葉に導かれて成長することは、本人だけではなく、周りの人々や天使をも喜ばせ、数十、数百の喜びが実を結びます。神様は御言葉を通して、今もこの世界に恵みのたね、救いのたねを蒔き続けておられます。

2022年5月22日

たとえ応える人がわずかだとしても、神様は万人に愛を注いで下さる方です。イエス様が10人の病を癒やされた時、感謝するため戻ってきたのは1人だけでした。実利を重視する分野において、成功率10%と聞けば、失敗と見なす人が多いのではないでしょうか。しかし、聖書は戻ってこなかった9人について嘆くのではなく、たった1人が喜びにあふれて、大いに神様に感謝して戻ってきた姿に光を当てています。この1人はサマリヤ人でした。サマリヤ人はモーセ五書と呼ばれる旧約聖書の一部のみを聖典としている人々であり、民族的にはユダヤ人とその他の民族との血筋が入り交じった人々でした。ユダヤ人からするとサマリヤ人の信仰と民族性は正統性を外れた異端であり、その差別意識が両民族の対立感情を産み出していました。ところが、ユダヤ人であったイエス様に対して最も感謝し、おそらく神様の姿を見いだしていたであろう人は、この1人のサマリヤ人でした。神様の愛に応える人は、意外な場所から起こされます。

2022年5月15日

誰かと一緒に食事をすることを「共食(きょうしょく)」と言うそうです。イエス様は福音書のなかでよく「共食」をしておられます。聖餐式も共食の一種といえるでしょうか。文化人類学者のダンバー博士よれば、共食には集団の信頼関係や連帯感を強める効果があるそうです。レビ記の時代、神様へ献げる感謝の礼拝は、共食であったことが示されています。基本的には牛や羊を献げたのでしょう。大量の肉を次の日に残すなという指示を守るためには、食べきれない分を他の人々と分かち合う必要があったでしょう。誰かが神様に感謝の礼拝を献げる時は、他の人々も共に感謝の喜びに参加することが出来る、楽しいバーベキューだったのかも知れません。神様はご自分へ向けられる感謝の思いに、他の人々を招き、共に喜び、人々が仲良く楽しむ姿を喜んでくださる方です。

2022年5月8日

イエス様は、誰かを聞き従わせようとするのではなく、まず自らが聞き従うように、と教えておられます。ローマ10:17、信頼関係は自ら聞き従うことによって育まれます。

話し手の能力や情熱は重要ですが、もし相手が聞く耳を持たないなら、無理に相手を説き伏せようとせず、別の人に対して神様の恵みを語り伝えるようにと教えられています(マタイ10:14)。イエス様は相手の自由な意思を尊重される方です。

イエス様は多くの人々に向かって語りかけましたが、全員が教えを受け入れたわけではありませんでした。しかし、全員が受け入れないからといって語りかけることを諦めたりしませんでした。全体からすれば少数であっても、聞く耳のある人がいると信頼して語り続けたのです。信頼関係は相手を信頼することから始まります。

2022年4月24日

ヨハネによる福音書 21章25節。新約聖書には4つの福音書が収録されています。4つの福音書はそれぞれ異なる視点、異なる記憶で記されたものです。細かな違いは、イエス様を見聞きした人の違いなのです。従って、本来イエス様の伝記として書き記したものは、もっと多くの記録が存在した可能性があります。12弟子が一人ずつ書いたとしても12冊になります。実際、聖書正典が確定される前は、諸教会の中で現在聖書とされていない書物を聖書としている教会も存在しました。しかも今でもイエス様は救いの働きをしておられます。出会った人はいろいろ言いたいことがあるでしょう。しかし追加していくと切りがないので、イエス様のいいところをギュッと濃縮している4つの福音書を聖書にします、とヨハネ福音書は締めくくっているようです。

2022年4月17日

モーセの最後の探検は80歳の時に始まりました。嫌がるモーセに神様は偉大な働きを委ね、約束の地を探す旅へと押し出されました。神様を信頼する人にとって、新しい人生を始めるのに遅すぎることなどありません。老人こそ探検者たれ。

2022年4月10日

イースターの1週間前の日曜日は「シュロの祝日」と呼ばれます。イエス様がイスラエルの首都エルサレムに入られた時、人々は歓迎して、道に枝葉を敷き、手にもって振ったのだそうです。ヤシ科の樹木は年中葉を茂らせる常緑樹であることから、朽ちることのない永遠の命の象徴とされてきました。しかし、永遠の命の恵みは、罪によって滅びる人を救うため、命を献げる、イエス様の愛によって与えられました。シュロの枝葉を通して悔い改めと感謝の祈りが与えられます。