「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:13-14)。神様は、罪に落ちて、神様との交わりを回復できない私たちのために、たくさんの預言者を送り、バプテスマのヨハネを送り、ついには御子イエス様を送られました。イエス様は、「神様が共にいて下さる」方です。私たちの罪を負われ、私たちの罪を赦し、清め、神様との新しいご支配の中に私たちを入れて下さいました。教会がその恵みの神様の国です。
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2020年9月13日
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」(ルカ15:4)。神様は、そのようにしてわたしを見いだして下さいました。罪に落ちたわたしを神様は、捜し回って下さいました。そして、今日のわたしがあります。救いの喜びと感謝を忘れないようにしましょう。
2020年9月6日
「知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになりました」(ローマ6:16-18)。私たちは、イエス様を信じて、罪から救われました。イエス様の救いは、根本的な救いですから、私たちの全てが救われたのです。生まれながらにして罪まみれの私たちをイエス様は救ってくださいました。神様の「義」であるイエス様に従って生きていくことが、喜びとなったのです。
2020年8月30日
「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない」(マタイ7:17-18)。私たちは、良い木ではありません。アダムの罪をそのまま受け継いでいますから、私たちはみな罪人です。罪人の私は、自分の罪が分かりません。自分が何をしているのかも分かりません。なんと惨めなことでしょうか(ローマ7:34)。自分の惨めな姿が分かるのは、罪から救いだされたときです。イエス様を知って、心の中も、口に出す言葉も、行いも、みな神様の背いていることを知ります。悪い木が良い木になれるのでしょうか。それは、生まれかわるより、ありません。バプテスマを受け、聖餐に与り、イエス様に新しくしていただくのです。
2020年8月23日
「このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。」(ローマ5:12)神様に背いてアダムとエバは、神様に対して顔を向けられなくなり、隠れました。エバは、アダムに責任を押しつけ、アダムは、蛇に自分の罪をなすりつけました。それは、みな神様が悪いと言わんばかりでした。 このような罪によって、神様との交わりを失い、人と人との正しい交わりを失い、人は、体の死、魂の死に向かっていかねばならなくなりました。そして、サタンとの戦いを続けていかねばならなくなりました。さらに、与えられた自由を正しく使えない者となりました。その責任は、みな人間の側にあります。責任をとらねばならないのは人間ですが、とりようもないのです。誰も負うことのできない責任を誰が負って下さったか、です。
2020年8月16日
「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。主なる神は人に命じて言われた。『園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。』」(創世記2:15-17)
神様は、天地万物を創造され、最後に人間をつくられました。それらは極めて良かったと創世記1章の終わりに記されています。特に 人間には自由を与えました。それは神様に対する責任も与えられたということでした。創造されたアダムは、エデンの園にあって自由にふるまうことを許されていました。ただ一つの制限がありました。このみ言葉の通りです。与えられた自由を自分のために用いるならば、必ず死んでしまうのです。食べてはならない木、それは神様との一線です。守らなければならないことがありました。この一線を越えてしまったところから罪に陥りました。この罪が全ての罪を生み出す源となりました。罪とは、神様に背いて、神様から離れていくことです。
2020年8月9日
「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(創世記1:27)。
神様は、人を創造されました。「神のかたち」につくられたとは、私たちが神様と人格的に交わることができるようにつくられたということです。創造主と被造物であるものが向かい合いようにして、責任と自由を持って向かい合い存在としておかれているとは、素晴らしいことです。神様が私たちに呼びかけ、私たちはお応えします。私たちも神様に呼びかけ、神様はお応え下さいます。神様と私の関係でも、神様と私たちの関係でもそれはたえずなされています。一番よくそれが現われているのは、礼拝です。神様が一方的に下さった恵みの時です。私たちに与えられた「神のかたち」に感謝します。
2020年8月2日
| 「命を愛し、/幸せな日々を過ごしたい人は、/舌を制して、悪を言わず、/唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、/平和を願って、これを追い求めよ。」(Ⅰペトロ3:10-11)自分のことを一番知って下さる方は、神様です。なぜなら、神様が私たち一人一人を造られたからです。私たちの全てを知っておられ、心の奥のかくれた思いも見通されています。神様を知るとは、人間が神様によって造られたことを知ることです。造られたものは神様のものです。私たちの務めは、つくり主の神様を礼拝し、神様のみ言葉に従って生き、そのみ栄えを現わすことです。これが私たちに生きる目的です。具体的には、与えられた教会に繋がり、バプテスマを受け、聖餐に与りながら、礼拝を中心とした生活を送り、天に宝を積むことです。この地上に神様のみ国がなるようにと祈り、励むことです。神様の平和が実現するように祈り続けることです。自分の命は、神様のものです。どの命も神様のものです。イエス様をお遣わしになるほどに愛されている命です。命を大事にすることが神様のお喜びになることです。 |
2020年7月26日
| 「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1章1節)
神様は、お言葉によって、無から全てのものを創造されました。神様は、宇宙の全ての創り主です。ですから、太陽も月も星も神様にはなりません。神様を宇宙と言い換える人がいますが、宇宙も神様の被造物です。このお方が、まことの神様です。その神様は、聖書において語られ、イエス様においてご自身を現わされました。ですから、イエス様を見るとき、神様を見ることになります。神様は見ることはできませんが、イエス様を信じる信仰が与えられて、神様を見ることになるのです。「イエスは言われた。『フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、「わたしたちに御父をお示しください」と言うのか。』」(ヨハネ14:9) 使徒言行録10章にペトロが異邦人のコルネリウスにイエス様のことを伝え、聖霊が降った記事があります。ペトロは、「ナザレのイエス、この方こそ全ての主です」と彼に伝えました。それは復活されたイエス様から直接、ご自身を証しするようにと強く命じられたからでした。イエス様を信じるものは罪の赦しを受けると、私たちも証ししていきましょう。 |
2020年7月18日
| 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネ1:14)
イエス様こそ、神様の御子、そして神様のみ言葉そのものです。そのお方が人となられました。このイエス様によって神様が私たちと新しい救いの契約を立てられました。古い契約は、イエス様を目指していました。そしていよいよ旧約が成就して、新約がイエス様から出発していきました。ですから、旧約聖書も新約聖書も一つの神様の言葉として、イエス様を中心にして、語られています。聖書66巻が私たちの正典なのです。これは、大切な私たちの信仰です。 私たちは、律法の実行によっては、救いに与ることはできませんので、イエス様の恵みによって、イエス様を信じて受入れて、罪赦されて神の国の民とさせていただきます。旧約聖書を読みながら、聖霊のお導きをいただき、イエス様と出会い、イエス様を見いだそうとします。また、そうする心で聖書を読むように勧められています。 聖霊の神様が新旧約聖書を通し、神様と神様のみこころ、救いのみ業を示し、今も私たちにために働いてくださる神様のお働きを教えて下さるのです。 |