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2020年5月3日

「毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた」(使徒言行録5:42)。初代教会の使徒たちは、大祭司を頂点とするユダヤの指導者たちから鞭打たれ、イエスの名によって語るなと命じられても、やめることはありませんでした。それどころか、鞭打たれたことを喜んで、宣教に励みました。愛するイエス様のお苦しみを少しでもいただくこ

とができて、喜んだのでした。「福音を告げ知らせる」喜びに私たちも与らせていただきましょう。

2020年4月26日

 主イエス様は、弟子たちにエルサレムを離れず、聖霊を待つように言われ、天に昇って行かれました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1:8)と言われ、彼らの目から見えなくなりました。イエス様の最後のお言葉でした。

そして、泊まっていた2階の部屋で祈り始めました。11人だけではありません。そこには、「婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たち」もいました。熱心に祈り始めたのです。新しい祈りの共同体が誕生しました。女性たちもいました。

そして、その新しい共同体は120人になっていました。12というのは、イスラエルの12部族です。イエス様の弟子も12です。女性たちも入って、新しいイスラエル、教会が始まりました。イエス様のくださった新しい約束に生きる、新しい共同体です。

ペトロが立ち上がってユダについて語り始めました。ユダは、イエス様を捕らえる者たちの手引きをしたこと、それは、そうならなければならなかったこと、神様のご意志であったこと、そして、「わたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていた」と言いました。ユダの悲しい最後の様子について、語りました。その上で、新しい共同体に、新しい指導者を求める祈りを始めました。そして、マティアを選出したのでした。

11人ではなくて、12人になりました。ペトロたち120人の深い祈りと神様の絶大な恵みが新しい指導者を選び出したのでした。ユダの裏切り、イエス様の十字架の時の自分たちの振る舞いを決して忘れません、赦されて生きる私たちであることの表明であると思います。教会は、その後も、11人になってしまうことがあったと思います。12人の中で起こることです。それでも、何度でも悔い改めて、祈り始めましょう。

2020年4月19日

「指のない大工」の話。1924年、久米島にお生まれになった桃原(とうばる)さんは、20歳でハンセン病療養所の沖縄愛楽園に入所されました。「沖縄を突然襲った十・十空襲を日本軍の演習だと思って森に上がって見ていました。そして、空襲、艦砲が始まりました。愛楽園に米軍が上陸したのは、1945年4月21日でした。『出てこい、出てこい』と言われ、みんな、捕まっていました。それからは自由になりましたが、夜になると食料調達に出かけます。『戦果を上げに行く』と言いました。履き物もないから、ガラスで足を切って、化膿、麻酔なしで左足の人差し指を切られました。『戦果』のダイナマイトを海に投げ入れて、魚を捕りました。1948年、人に頼まれてダイナマイトの信管を調整していたとき、それが爆発して、両手の指を全て失いました。失明は免れました。結婚、娘が生まれて、断種手術を受けさせられました。包帯で工具を腕に巻いて家具作りを始めました。娘が中学生になりました。ある日、『この病気怖いか』と聞きました。娘は何も言いませんでした。『あんたがこの病気を怖いのを僕は知っている。お母さんは何も教えてくれなかったか。あんたはもう中学生なんだから、もしこの病気がうつるなら、とうにうつっている。この病気はうつるもんでもない。お父さんたちは運がなくてなっただけだ。』この日、始めて親子三人で一つのお皿から一緒にご飯を食べました。」

(沖縄ハンセン病証言集より)

「一緒にご飯を食べる」ことができることがどれほど尊いことでしょうか。「この病気」は簡単にうつるものではないと言わないと終わらないと思います。

2020年4月12日

私たちは、日曜日の礼拝を主日礼拝と言っています。「主の日」は、イエス様が再びやってくる日、再臨の時として使われています。その日は、盗人のように来ます、とⅠテサロニケ5章などにあります。また、ヨハネ黙示録1章で、ヨハネが幻を見たのが、「主の日」と書かれています。少ないのですが、「主日」、「主の日」には、イエス様が復活された日、再臨の日、私たちの礼拝を捧げる日、それは神さまが天地を創造されて、全てを休まれた日、私たちには労働からの解放の日として、特別な意味があります。私たちは、このことを覚え、信仰の証しとしてきました。主日を守ることは、私たちの信仰の生命線です。礼拝が続けられますよう、お祈り下さい。

2020年4月5日

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ8:28)。これから、もっと状況は悪くなるだろうと思えるような中でも、神さまのお言葉は、「万事が益となる」です。こういう時こそ、希望をいただき、勇気を持って、将来に期待して進んでいきたいと思います。2020年度が始まりました。元気を出して、主を褒め歌いましょう。

2020年3月29日

「ペトロは言った。『わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい』」(使徒言行録3:6)。私たちには金銀はありません。これはお金だけのことでなく、人がほしいと願うものを表していると思います。パウロは、それらを損失と見なすようになりました。キリストがあまりにも素晴らしいからです。素晴らしいイエス様のお名前を私たちは知りました。

2020年3月22日

イエス様は、十字架を前にして、弟子たちのために祈られました。イエス様は、この世から取り去られますが、同じように弟子たちもこの世から取り去られることではなくて、ご自身がこの世に遣わされたように、遣わされ、「真理によってささげられた者」となるようにと祈られました。世に属していない弟子たちが、この世の悪から守られるようにと、「聖なる者」となるようにと祈られました。私たちにどのようになってほしいと願っておられるのでしょう。(ヨハネ17:6-20)

2020年3月15日

イエス様の大切なお言葉、「あなたがたは地の塩である(マタイ5:13)」、「あなたがたは世の光である(マタイ5;14)」。塩も光も当り前のようにあるものですが、なくてはならないものです。しかも塩だけで何かをするというより、何かに働いて良い働きをします。光も何かを照らし出すためにあります。自分をアピールするのではありません。あなた方はそういうものですとイエス様は言われました。そういうものになりたいと思います。

2020年3月8日

1907(明治32)年、「癩予防に関する件」が公布され、ハンセン病患者は隔離収容することとなりました。初めは「浮浪」患者が対象でしたが、家にいる人も強制収容するようになりました。キリスト教会もMTLという組織を作り、国策に加担し、差別を助長しました。「これはなんともないよ、ううらないよ」と言うべきでした。信仰の反対は、恐れです。恐れてはならないのです.

2020年3月1日

大阪堺に岡村平兵衛さんという人がいました。彼は、1889年から14年間、千名以上のハンセン病の患者さんを救護、家に24時間風呂をつくり、体を温め、きれいにしてあげました。まだ、私立、公立の保養院、療養所ができる前です。後に彼は、家業の丁子油から大風子油を精製しました。戦後、プロミンができるまでは、これがハンセン病の薬となりました。家族には、「素手で触っても絶対にうつれへん」と何度も言っていたそうです。地元の人の通報で自宅救護ができなくなり、後に御殿場につくられた神山復生病院に自らもお遍路さんの白装束を着て、患者さんを送り届けました。平兵衛さんは、キリスト者で、堺の教会堂建築にも協力しました。