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2025年3月2日

聖書の舞台であるパレスチナ地方には、死海と呼ばれる塩分濃度の高い湖があります。あまりに塩気が強すぎるので、この湖には魚のような生き物が生きることが出来ないので死の海と呼ばれるのです。しかし、この死海、そして周辺の塩の谷から採れた塩は、人々の生活を助けるために用いられています。塩は食べ物の保存のため、食事に味をつけるため、ほどよく薄めて農地にまくなど、さまざまな使い方をされます。マルコによる福音書9章50節では、神様を信じる人たちの信仰と信仰生活を塩と塩気になぞらえているようです。古代社会では塩のような粉の類いは、しばしば砂や、不純物をわざと混ぜることで、利益を増やそうとされることがありました。酷いものになると、ほとんど不純物になってしまう、なんてものもあったかも知れません。塩だと思ったら砂の方が多いなんてことになれば、それはもはや塩とは呼べません。神さまを信じる人たちが、信じると口にしながらも、信じている人にふさわしい生活を心がけないで、抜け道ばかりさがして罪を犯し続けているなら、塩とは名ばかりの塩もどきのような存在になってしまいます。精製された純度の高い塩であれば安心して大いに用いられるように、私たちもますます清められて、神さまの救いのお働きに用いられますように。

2025年2月23日

エゼキエル書47章では、神殿から流れ出る川の流れという幻が記されています。この章の表現は、預言者エゼキエルが見た幻の一部ですから、ここに記されている内容が文字通りそのまま実現するというよりも、ここに記されている幻の内容を通して、荒れ果てた世界が、神さまの恵みによって回復するという希望が示されているようです。エゼキエル書では、神の民イスラエル(ユダ)の国がバビロニア帝国に滅ぼされ、人々が首都バビロンへと強制連行、強制労働を強いられるバビロン捕囚が起きること、そしてその苦難の後に再び神の民が生き生きと生きる事が出来る場所が神さまによって与えられることが約束されています。47章1-12節の表現では、神さまを礼拝するところから、川が流れ出て全世界を潤し、死海をも命に満ちる場所へと変えるという光景が記されています。イエス様は、ヨハネ福音書7章:38-39節でイエス様を信じる人の内から「生きた水が川となって流れる」と言っておられます。これはエゼキエル書47章で表現されている神殿が、建物や場所ではなく、イエス様を信じ、十字架の赦しの愛に生きる人々そのものであり、イエス様を信じて生きる人の人生は、自らのみならず隣人をも生かし、新しい命に満たす神さまの恵みが広がって行くことが示されているようです。水源は小さく上流の流れは細くても、細い流れは合流して大河となり、広く世界を潤し豊かな実を結びます。私たち一人一人の働きは小さく、細いものだとしても、神さまは世界を命で満たす働きのために用いて下さる方です。

2025年2月16日

雪国の2月は、雪と氷で大地が覆われるので、草花の姿を見ることは出来ません。美しい白い大地は、死の大地でもあります。しかし、4月後半になり雪がとけて気温が上がり始めると、大地から新たな命が芽生え始め、5月にはあちこちで一斉に花が開きます。4月後半から5月前半には梅と桜が同時に咲いて、あっという間に散ります。短い期間ですが、花たちは実を作り、また次の季節には新たな花を咲かせます。30節のイエス様のお話に出てくる野の草は、炉に投げ込まれます。当時は野の草花が燃料として使われていたのです。もしイエス様が雪国にお生まれになっていたら、野の草は氷の下に枯れ果てる、と表現したでしょうか。しかし、どこの草花もイエス様のおっしゃるとおり、明日には命がなくなるとしても、終わりの日まで日々必要なものに満たされています。神さまのご配慮は草花にさえ及んでいるのであるから、人間についてはなおさらご配慮下さっているはずです。信仰のうすい者よ、とのイエス様のご指摘をいただけば、申し訳ない気持ちにもなりますが、同時に薄さに気付けば、こゆくもなれる、と励まされているようにも思われます。だから先の事を心配して不安になるのではなく、神さまが必要なものを満たして下さると信頼し、平安のうちに日々、こゆーく生きて行きたいものです。

2025年2月9日

12歳というのは、小学6年生から中学1年生にあたります。まだまだ可愛い子ども時代ではありますが、多くの人は第二次反抗期とも言われる時期にあたります。イエス様にも反抗期があったのでしょうか?あれこれ理屈をいう年齢の子どもに対して、親は悩み深くなることがあるかも知れません。ルカによる福音書2章50節の出来事によれば、イエス様の両親であるマリアとヨセフも、イエス様の言動に悩まされたようです。マリアとヨセフほどの立派な信仰者、人格者であったとしても、子育ての悩みはあったということは、悩める親たちにとっては大いに慰めになるのではないでしょうか。イエス様が12歳の時に両親と、おそらくナザレ村の親戚たちや、ご近所の人たちと共にエルサレム神殿へと巡礼に行きます。ところが、帰りの集団の中にイエス様がいませんでした。慌てて探し回ると、エルサレム神殿の境内で大人達と一緒に聖書の内容について議論をしていたのだそうです。心配して叱る親に対してイエス様は、自分は神さまの子どもなのだから、親である神さまのいる神殿にいるのは当然だと答えます。50節によれば、両親はイエス様の言っていることの意味が分かりませんでした。もしかすると愛する我が子が神の子、救い主として苦難の道を歩むことを理解したくなかったのかも知れません。子どもはしばしば親の願いを超えて、自分自身の人生を生きるものです。イエス様が両親に向かって語った言葉には、人には誰でも、親の願い通りではなくとも、神さまが与えられている人生が備えられていることが示されているのかも知れません。

2025年2月2日

新約聖書ではイエス様の十字架の救いのことを「福音」と表現しています。この表現は原文のギリシア語では「エウアンゲリオン」という単語で、直訳だと「良い知らせ」という意味です。「エウアンゲリオン」を「福音」と訳するようになったのは、中国語訳聖書の影響とされています。中国語における「音」という文字には、「声」という意味があり、そこから派生して「知らせ」という意味でも使われるのだそうです。しかし翻訳上の都合というだけではなく、ヨハネ黙示録14章2節では、神さまの声は音としても表現されています。大水のとどろき、あるいは雷鳴は、自然現象を通して語りかけておられる神さまの声であり、時には人間の罪深さに対して厳しくとがめ、悔い改めを迫る怒りの声でもあります。しかし同時に神さまを信頼し、謙遜に生きようとする人にとっては、竪琴の美しい音のような調和が感じられる音であり、赦しと救いを告げる良き声、良き知らせでもあります。悔い改めと赦しの愛を伝える、救いの良き知らせは、イエス様の弟子たちから始まり、多くの宣教師たちを通して現在に至るまで、日本中で伝え続けられています。

2025年1月26日

「コヘレトの言葉」は、旧約聖書のイスラエル王国時代、最も政治的に成功したとされる伝説的な王さまであるソロモン王が書いたとされています。「コヘレト」というヘブライ語は、「集める者」という意味があります。ソロモン王は多くの人々を集めて共同体を形成し、生活と信仰の知恵である聖書の言葉を教える集団を作ったとされます。そこで「コヘレトの書」は「伝道者の書」と訳されることもあります。1章1節では「全ては空しい」という表現があることから、何事に対しても投げやりな人生観を示す虚無主義的な思想であると誤解されることがあります。しかしこの書の本質は、人間の最大限の努力や想像に勝る、神さまの絶大な恵みを伝えようとしているということです。3章1節では、あらゆることに相応しい時が神さまによって定められていると教えられます。現実に何か人間の想定を超えたことが起きたとしても、それが神さまの定めた最適な時として受けとめ、良いことも悪いことも、人生全体を通して神さまが関わっておられ、一人一人に幸いを備えておられると信じることが出来る、前向きに諦めるという生き方が示されています。

2025年1月19日

古代社会では、病気の原因は悪霊の仕業であるとされることが珍しくありませんでした。しばしば病気になった人は、それぞれの社会から隔離されて、孤独に苦しむことになりました。旧約聖書の時代、病気になった人は感染予防のために町や村から隔離されるよう定められていましたが、長い時代の変化の中で、本来の意味が見失われ、宗教的迷信として、病気の人に触れると病気がうつるばかりではなく、精神的、霊的ケガレもうつると恐れられ、病気の人は身体的な苦しみに加えて社会的、精神的な苦しみに耐えなければいけませんでした。重い皮膚病は特に目にみえる疾患症状だったので、他の病気と比べると隠しながら生活することも困難でした。しかしイエス様は重い皮膚病の方に触れて、その病を癒されました。実際の病気そのものに加えて、心も癒されたことでしょう。イエス様は癒された人に、癒やしの奇跡を誰にも言いふらさないように、そして祭司に癒されたことを証明してもらうようにと命じておられます。その理由の一つには、癒された人々が社会に復帰しやすくするために、病と差別に苦しんだ過去を不特定多数の人々に知られることで更なる差別や偏見を受けていけない、という気遣いだったのかも知れません。

2025年1月12日

新約聖書の舞台であるローマ帝国では、大変立派な舗装道路が作られており、その一部は現在でもつかわれています。しっかりと整備された道は、歩きやすくより早く移動することが出来ます。しかし、どれだけ立派な道であろうとも、目的地へ向かうのではない道をいくら進んでも、目的地に着くことはできません。現代人はスマートフォンの地図機能を使って、あちこちに行くことが出来ますが、もしそうしたなんらかの案内がなければ、誰も初めて行く場所に向かって正しく進むことはできないでしょう。聖書では道を人生になぞらえています。人生は道が枝分かれして、あちこちに伸びているように、様々な決断と選択によって方向が変わるものです。神様を信じて生きるという決断をして、天国を目指して日々清められて人生の道を進んでいるつもりでも、途中でいろいろな誘惑に出会って、本来の道を外れてしまうこともあるでしょう。迷子を見かけたら、目的地に行くための手助けをするのが親切心であり、イエス様の教えておられる隣人愛の表れでしょう。それは人生という道も同じで、罪を犯したり、誘惑を受けてふらふらと天国への道から外れてしまった人がいたら、「あんたの行く道はこっちやで」と声をかけ、時には優しく肩をどついて?方向転換させてやりなさい、と聖書は教えているようです。

2025年1月5日

昔から「一年の計は元旦にあり」と言います。ことわざを知る辞典によれば「一年のことは年の初めの元日に計画を立てて行うべきである。物事は初めが大事、しかもしっかりした計画のもと着実に行えということ。」と解説されています。もととなっている中国のことわざでは、1日の計画は「朝」に、1年の計画は「春」に行うべきである、という表現になっています。おそらく春の種まき、農業計画が念頭にある表現なのでしょう。エレミヤ書29章11節では、神さまもまた計画を立てて実行される方として紹介されています。エレミヤの時代、神の民の国は滅ぼされ、人々は遠いバビロンで捕囚の民とされます。しかし神さまは内乱や戦争によって対立するのではなく、7節では捕らえた人々と捕らえられている町に、敵に平和があるように祈れと諭しておられます。この平和の計画は、後にイエス様の、十字架の赦しの愛によって明らかになり、現れていきます。神さまの平和の計画は、私たちが思うよりもっと早く、始めから計画されており、今もなお、イエス様を信じる人々の心に蒔かれた御言葉の種と共に成長しているのです。

2024年12月29日

フィリピの信徒への手紙の著者であるパウロは、大変立派なキリスト者として知られています。しかし、彼ほどの人物であっても、自分はまだまだ完全な者には遠い、と謙遜しています。この謙遜さは心ではおごり高ぶっているようなうわべだけのものではなく、本心からまだまだだと言っています。パウロが追い求め続け、謙遜にならざるを得ないのは、復活の恵みに与る、ということについてでした。パウロはイエス様を信じる信仰によってすでに自分が罪から清められ、新しい命、新しい人生が与えられているという意味での復活の恵みを、すでにいただいていると確信していました。しかし、肉体を伴う復活という神秘はまだ経験しておらず、どのような形でなされるのか、はっきり解ってはいません。だからまだ自分は復活の恵みについては確信していても、完全に捕らえ切れてはいない、自分は死ぬまで信仰の探求者なのだと言っているのでしょう。パウロがこのように自らの信仰理解における不完全性を告白するのは、信仰の友らが、完全な者になったのだと思い込む高慢に陥らず、共に謙遜に新しい命を追い求め続けて欲しいと願っていたからでしょう。自分の信仰歴を誇り、高慢に陥らず、死ぬまで新しい命を追い求める人こそ、復活の恵みの只中に生きているのです。